推理

40x40字1枚換算で50~175枚

結構長いものも受け付けるようです。

うーん、大体何枚目で第一の殺人が発生するべきかな~

中には、しょっぱなの1ページ目から人〇んでる商業小説もありますけど;;;

それと、何人殺〇れるべきかな!!!

不謹慎ですが

一番単純なのは、やはり被害者一人で謎解きもそこに集中すべきなんでしょう。

なので、連続殺〇事件にするにしても、1つ1つのエピソードを積み立てるシンプルな作戦で行ったほうがいいのかな~

基本はきちんと押さえつつ、小説として「面白く」ないといけないし、オリジナリティも求められるダローという事で、相当の力量求められますね。

雰囲気としては異常でホラー性ありながらも、楽しみながら入って行けるものを目指してみようと思います。
ガチのホラーだったら全体を凍るような雰囲気で固めたいところですが、推理ものとゆう事で、「エンターテインメント」である事を少し意識したいと思います。
だからといってふざけ切ったものやお笑い劇みたいになってしまうとまるで雰囲気出ませんから、そこをどうしようかという事ですね!

作戦としては、舞台や事件自体は異常でホラー丸出しで、エンターテインメントなところはキャラクター、特に主人公に頑張ってもらってもらいたいと思ってます。
頭はいいし話も上手く、ビジュアル面も優秀で、なおかつ 天然ボケ的にドジったりするところのある人を主人公にしたいと思います。
探偵役にも色々なパターンがあるわけですが、「クールで頭の切れる探偵+やや一般人的な視点も持つ助手」だと、わたくしの力では今回の試みを上手く書く事はできないように思います。
単純に個人の力量の問題なのですが、私は圧倒的な頭脳を持つ「天才」を書くのは非常に苦手で、向いていないように思います。さらには、そういった天才的な探偵役を舞台の中で上手に動かして雰囲気作るのもなかなかイメージすらできません。
なので、主人公がむしろ一般人寄りの思考で、助手役のほうが密かに頭が切れてヒントを出してくれて、主人公が真相に辿り着く系のほうを参考にしたいと思います。

私的な話ですが、最近読んだ推理小説が、偶然かもしれませんが軒並み全体的に暗い色調のものだったんですね;
で、そういうのも、ホラー性を持たせたりする分には良いと思うんですが、敢えてそこで勝負するよりも、主人公の周辺を中心に少し明るい色調も出す作品を送り込んだほうが、猛者達の作品の中で少しは輝く可能性もあるかなーと考えました。
まあ、裏目に出るかもしれませんが・・・;
もっときちんと調べてみる必要はあるでしょうが、もしかしたら暗い色調のものやドロドロしたもののほうが最近の流行りなのかもしれません。
ずっと以前は、もうちょっとコメディ要素があるものも見かけた?気もしないでもなかったのですが。

以前も考察しましたが、がちのホラーというのはなかなかヒット作を作りにくくなっている面があると思います。というのも、過去のヒット作を超えるためには残虐性や異常性を増す必要があるが、それだとどうしてもついていけない読者も増えてしまうと予想できるし、現に商業作品にそういう傾向が見られる気がするからです。角川さんがホラーとミステリを一本化したのも、そういう理由はあるんじゃないかナーという気はします。
私個人としては超ガチのホラーで挑みたい気もないわけではないですが、どうも多分、求められているのは「ガチの恐怖」ではない気もするわけです。
となると攻めるなら、恐怖させる要素も持ちながら、しっかり「楽しめる」内容にする事だとも思うのです。

・・・とは言っても、そもそもトリックや事件構成がお粗末では「苦笑」されてポイっと捨てられてしまうに違いないから、そこは勉強も重ねながら念入りにやらないといけませんよね。力量が求められます!

キャラクターが魅力的で舞台設定も重厚でなければならないだろうし、大忙しになりそうです。
あ、普段の他ジャンルの小説でもそれくらい考えたほうがいいのか・・・。
既に何度も見直した冬場に書いたホラー小説も、さらに見直したいと思います。

 

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手の速さ

私は、個人的に漫画も描くし普段の仕事もしているので、基本的には「手が速い」ほうがいいと思っています。
もちろん、どうしようもないごみを早く量産しても意味がありません。
しかし、一定の水準を満たしたものであれば、同じ品質であれば短い時間で仕上げられるほうがスキルは上であると単純に考えます。

じっくり時間かけて、確実にそのほうが良い物ができるという確信と経験があるなら、そうしたほうが絶対にいいでしょうね。
私は自分の経験から言うとそういうふうにやるとダメなタイプなので、同じ品質のものなら速く仕上げるように心がけています。

そういうのって、結論から言うと人によって違うのです。

もちろん、商業の漫画家とかの場合だと週刊で連載するものを1ヶ月かけてたら完全にアウトですから、水準以上のものを速く仕上げる能力は当然必要かと思います。

ちなみに、趣味で描く1枚絵のイラストの場合、私はじっくりだらだらと2ヶ月くらいかけて描く場合があります。
それが、特別に良い出来とは限りません。
しかし、それは売りに出すものではなく趣味で描くもので、
「描く作業」自体が楽しみなので、音楽とかをかけてじっくり取り組むのです。

だから本質は多分小説も同じで、完全に自分だけの趣味でやるならむしろじっくりやったほうがいいんでしょうね。
ただ、同人も含めて、売りに出すっていう目的が少しでもあるなら一定の速さはないと、とにかく作品がでません。ゆっくりであればあるほど良いという事は普通はないと思います。イベントに参加するなら入稿の締切ってのもありますし。
しかし、その具体的な「速さ」は人によって違うから、一般論としてこういう速さでなければならないってのは当然言えないわけです。

仕事やってる場合、執筆活動に使える時間が少ない人もいると思います。
私自身の経験でも、残業漬けで帰宅してもくたくたで創作活動どころじゃないって時は過去にありました。
ただ、そういうのって、「自分がやりやすい環境」を自分で作らないといけないっていうのもあると思うんです。
残業漬けの仕事から転職したくてもできないって場合は・・・・・・
もう、諦めるしかないですよ。
ほぼ同じ能力と同じ経験の人が競争するなら、時間あるほうが基本的には有利ですね。それは当然です。
そして、そういう環境を自分で用意できるかどうかも勝敗に影響すると思うのです。
それは時に不公平と言ってよい事もあると思います。
勝負するとなると、そこには「運」などの外部要因も関わってきますので。

まあでも、創作活動って本質的には別に必ずしも競争では無いって事は強調したい。
無料投稿サイトの悪意でそういう風潮は広まってますけれど・・・・。

それと私の個人的な考え方は、漫画の同人活動に影響されているところも大きいです。
売れるか売れないかも確証できないものに、時間かけてられないっていうのがあります。30Pの漫画で、最初の数ページでのろのろしてると全然終わらないわけです。
それで、時間かければかけるほど売れるなら私もそうしますけど、個人的な経験ではそれが全然当てはまらないんですね、私の場合は。
時間かけた挙句に1冊しか売れなかった(しかも隣のサークルが情けで買ってくれただけ;;)という悲惨な経験がずっと以前にあるので、それがトラウマなのです。
逆に、2週間くらいで一気に仕上げたものが〇万円(ワオ!!)もの売上になった事もあります。【注:いつもそうであるという事ではありません】
だから、私は仕上げられるものは出来る事なら速く仕上げて次にどんどん進んで、反省や直しはあとでやる。
・・・っていうふうに、しているのです。

逆に、じっくり仕上げたほうが売れ行きがよくて、速く仕上げたものはボロボロであるという人は、当然ですがじっくり時間をかけたほうがいいです。
最終的には、一人一人に合ったやり方があると思いますよ。

小説の場合、確かにじっくり下調べしたほうがいい場合もあると思うんですが、論文やレポートを書くわけじゃないっていう点には少し注意が必要で、かける時間に関してはバランスが大事なのかなあという気もします。。

尚、いくら経験でそうだったとはいえ、じっくり取り組んだ完成度高いものよりも、手早くやったほうが売れたっておかしくない?と思う人もいるでしょうが、そのカラクリは、ジャンルと参加即売会が違うというのがあります。
その最初のところを間違えると、いくら完成度高くても見向きもされないという事が実際にあるわけです。
ジャンル自体の人気というよりは、自分自身がそのジャンルに向いているかって事だと思います。
某ジャンルで、他の人がやると売れてるのに、私がやったらゼンゼン駄目という事があったわけです。
どのジャンルが自分自身に合っているかは、他人の情報を見ていても全然分かりません。自分自身でやってみるしかないのです。
そういう感じの活動が多かったので、それがうちの「個人サークル」の特徴になっているというわけです。

 

魅力的なキャラとジャイアン

魅力的なキャラクターとは何なのかについて考察します。

この件について、時代が変われば人々の考え方も変わりますから難しいところもありますが、1つ気になった事を。

それは「陰キャ」というカテゴリなんですね。

普通に考えると、所謂「陰険な」「根暗な」そのへんが該当すると直感的に思うわけですが、
定義を調べてみると、そこには
「コミュニケーション能力が低い人」
「大人しい人」
というのも含まれてるんですね。

これがもし一般的な認識なら、結構衝撃的やなと思います。
(当たり前やん?という人には、以下反論が続きます。)

わたくし、ちょっと古い漫画なんですが、はじめの一歩っていうボクシング漫画好きなんですよぉ。
主人公の幕之内一歩という人というか男の子は、昔いじめられっ子だったんですが、日本のフェザー級のチャンピオンにもなるんです。
・・・ただ、本人は確かにボクシングは強くなって、試合では凄い闘気も見せるんですけど、
普段の性格はというと、一言で言うと「大人しくて気が弱い(ように見える)」ようなキャラなんですね。
ベラベラ面白い事話す性格でもないし、女性との付き合い方も上手くないから、コミュニケーション能力高いか低いかって言ったら、まあ彼は低い部類に入るんじゃないでしょうかね。(作中で見てもその基準で言ったら青木や木村より下だと思います。)
ボクシングで強くなったからと言って、普段の性格まで変わったわけじゃない。そういったところでしょう。

でも、だからと言って彼が「陰キャ」という部類に入りますかね?
その意味で、私は「最近の人達の考え方」が信じられない。
そういうのを理解できない「年」になってるのかもしれないです!ア~

結論から言うと、一歩が「陰キャ」のカテゴリに含まれるはずがないんですよ。理屈じゃなくて、直感と常識で考えろアホっていうレベルでそうだと思います。
ただ、「最近の人」は、見た目やちょっと付き合って感じた性格が「大人しい」とか、ちょっと話が上手くないくらいで「陰険」「根暗」と同じと見なしてレッテル貼りするんですね。
まあ結論から言うと、最低の人間が持つ最低の考え方やと思います。

はじめの一歩っていう漫画では、実の所、そういうのを「ぶっとばす」っていうのが1つの魅力なんですけどね。
というのも、作中で一歩はそういうキャラなんですけど、ボクシングは滅茶苦茶強いっていう設定だからです。チャンピオンですから、もし一般人が素手でケンカしたら瞬殺されるでしょうね。
まあ少年漫画というのが、そういうのを好むというのもあります。
普段大人しい・明るい・優しい主人公が、怒らせると結構怖いっていうパターンですねえ。
でも漫画だけじゃなくて、一般にも言える事じゃないですかね?
一流のスポーツ選手や職人ほど、普段は紳士的で落ち着いているものではないでしょうか。

はじめの一歩で興味深いのは、まあフィクションですけれど、一歩というキャラは、多分もとから内側には激しい闘争心も秘めてる人だったのではないかと思います。
血のにじむような努力で「自分の性格を根本から変えた」人ではないと思うんです。
努力によって性格まで根本から変えたなら、普段の性格も変わってるはずです。
だから彼はむしろ、努力によって元々持っている才能を究極的なところまで磨き上げたのではないかと思うのです。
あ・・・で、そういうのは「認めない」って事なんでしょうかね、最近の人の考え方では・・・。

会社とかでもそうなんやけど、無能な奴ほど「コミュニケーション能力」って必要なんですよね。だって、他には何も持ってないから。
で、最近の日本人がどんどん貧しくなっている(単純な金銭的な意味で)事と関係あると思うんですが、ろくなスキルも経験も持たない人達が増えてるから、「コミュニケーション能力」ってものが一人歩きしてるのかなとも推理します。
スポーツ選手とかそういうのは「雲の上の人」やから、そもそも自分達の基準にならないし、きっと会社内でもスキルを持ってる人とそうでない人とで完全に階級分けされてて、下のほうの人達がきっとコミュニケーション能力コミュニケーション能力って騒いどるんやないかなあ。


大人しいっていう性格の他に、「クールでニヒルな(イケメン)キャラ」というのもよくいますよね。漫画だとそういうのも割と人気がある(「あった」?)キャラだと思うんですが、そういうキャラは大抵無口で普段の感情にも乏しく、コミュニケーション能力が高いか低いかといったら、多分低いほうに入りますよね。
でもそういうキャラが「陰キャ」に入りますか?
常識的に考えると、入らないと思うんですけどねえ。
しかし、定義から言うと入ってしまいますねえ・・・。

これはやはり、増殖した「スキルを持たない現代日本人」が生きる術として「コミュニケーション能力」しか持っていないから、想像力も貧困になって創作物のキャラにも貧弱で腐った価値観を適用してしまうのだと思います。

そういえば、「肉食系」「草食系」とかいった下卑た言葉も、ずっと昔は無かったんだけど、誰かがふっと使い始めて広がったんですよね。大抵は、「草食系」に属する男性への悪口として使われ始めたはずやと記憶しています。
まあレベルとしては、小学校とか中学校とかでの「イジメ」の延長なんやと思います。
ど〇えもんを見れば分かるように、イジメられる標的は、弱くて大人しいタイプの子なんですよ。ジャイアンは、決して自分と同等以上の相手に挑むという事はしないんです。男だったら堂々と、母ちゃんにびびってないで立ち向かえという話なんですけど、彼は絶対にそうしないんです。のび太相手なら絶対勝てると分かっているから、標的にしているんです。
単純なケンカの強さなら、多分ジャイアン出木杉だったらジャイアン勝つでしょう。仮に出来杉のび太よりは強いとしても、パシリのスネ夫を使って罠にでもはめればいくらでも勝てるはず。でもジャイアンができ杉を標的にしにのは、多分、出来杉は成績優秀で顔もよく性格もしっかりしていて周りから尊敬されているので、それを標的にしてしまうと確実に悪者扱いされてしまう。そういう「周囲の眼」も怖くて、劣等生で授業中も居眠りばかりで周りからも馬鹿にされてるようなタイプののび太を狙い撃ちにしていたのだと推理できます。

だから、ジャイアンタイプの大人が増殖しているという推理も成り立ちますね。ジャイアンは、当然ながら自分の事を批判されるのは嫌ですよね。従って、自分の価値感を肯定し、自分の価値感を肯定してくれる人を支持するわけです。
そういうジャイアン民族にとっては、幕之内一歩みたいなキャラはすごく都合が悪いのかもしれませんね。
だって、のび太みたいなキャラが実はすごい才能を秘めていて、ボクシングのチャンピオンにまでなってしまうんですから。
だからジャイアンがもし週刊少年マガジンを買っていたら、はじめの一歩っていうのはすごく嫌な漫画だったはずです。
ジャイアンが好む漫画って、例えば好きなだけイジメを楽しめるような、SMとかそういうのじゃないでしょうかね?
まあ、そういうジャイアン好みの漫画も増えてきたのかもしれません。

ジャイアンは、家では母ちゃんという絶対君主の足の裏をべろべろ舐めて媚びながら生きている男です。学校でもはっきり言って馬鹿なんだけど、それよりももっと成績の低いのび太がいる。デブだから力だけはあって弱い者イジメは得意である。
これは、もしかしたら現代人の姿を予言していたのかもしれませんね・・・。

別に二重人格系のキャラが良いとは言ってません。あまりそれが露骨なキャラは私もどうかとも思いますし、悪い意味で流行りを過ぎていて少々古いという気もします。
しかし、幕之内一歩のようなキャラは、「普段は大人しい」事と「試合では凄まじい闘気を見せる」事は何ら矛盾しておらず、二重人格でも何でもないと思います。
むしろ彼は、自分の力を使うべきところとそうでない所がはっきりと分かっているのでしょう。当然の事ながら、普段の生活でも喧嘩っ早いところがあったら、彼は殺人犯になってしまいます。彼のパンチは殺人級であるからです。ですから、パンチを放っていいのはリングの上だけと認識できています。その(当然の)認識を人一倍持っている事は、元からの普段の大人しい性格と無関係ではないはずです。

さて、それは漫画の話であるわけですが、小説ではそこまでの「ギャップ」はなかなか表現しにくいところがあります。
また、「キャラの人格が途中で変わっている」などというの設定や構成力の拙さを指摘される悪い意味で使われる事が普通です。
従って、「普段は大人しいけれど試合では別人のように闘気に満ちる」などといった設定は小説で使いにくい事は間違いないでしょう。
「力を秘めたのび太」よりも、「デブで馬鹿だけど分かりやすいジャイアン」だったら、後者のほうがウケやすい性質があるさえ言えるかもしれない。(だとしたら、小説という表現手段自体の弱点とも言えるかと思いますが。)

応募とカテゴリーエラー

今週のお題「大人になったなと感じるとき」

作品を作っていると楽しいものですが、ネット上を見ていると不安要素もあります。

例えば「~こういう作品書いたら一次落ちで死んだワーオ!」ギャー!!

中には30作以上書いてことごとく一次でウギャアー!!とか、
原稿800枚(!)書いた挙句にギャー!!という結果だったとか、
不安にさせる体験談もあります。

ただ、体験談をよく読み込むと、これまでにない自信作だったのに一次落ちでショックを受けているというものがある一方で、
「ジャンル的に合っていないのは分かっていたが」…というものも。
例えば、「ラノベの賞に、ラノベの要素を敢えて取り入れなかった作品を送った」
「人情小説が主流の賞に、量子力学(!)をテーマにした作品を送ってみた」
…など

それらの話が言い訳染みているという事ではありません。
むしろ、言い訳は積極的にしましょう!言い訳する人、個人的には好きです。じゃんじゃん言い訳しましょう。

ただ、落ちた要素がそこだと分析するなら、そこへの応募にこだわらなければいいのでは?…とも思います。
ラノベの要素を敢えて取り入れなかったのなら、もうちょっとちゃんとしたジャンルの小説として仕上げればいいのでは?と思いますし、
量子力学(!)をテーマにするなら、それはSFでは…?と思ったりもします。
この件について、出版社によっては「ジャンル不問」みたいに言ってるのでおかしくなっているというのもあるのかもしれませんが。

「ジャンル的に応募できる賞がない。」
であれば同人がいいと思います。
元々、商業では扱えないジャンルを自分で作品にして、同じ趣味を持つ人に「頒布」するのが同人です。
「金にならなければ意味がない。」
…であれば、普通に働きましょう。皮肉で言ってるのではなく、安月給でも質素倹約によって数百万1千万くらいなら貯めれますよ。1年間100万円の貯金をこつこつ10年続けるだけで1千万円です。見栄張って高い車とか買ったりしなければ金は貯まります…。

原稿800枚の長編にしても、30作を超える力作群にしても、「金」という事にこだわらないなら、本当は同人誌にしたほうがよい気もします。
同じ同人誌の世界でも、漫画とみせかけて描いてて飽きたのか途中からしょうもない数ページの小説が始まるものとかありますので。(ネットで無料公開ならそんな程度のものでいいと思いますが)
そういうのと比べたら、どれだけ大作で価値のあるものでしょう。
確かに小説の場合、残念ながら金を出して頒布物を購入するという文化が定着せず、代わりに定着したのがアマチュア作品は無料で読めて当たり前という文化です。
同人でも、全く売れなかったりすると確かにショックです。
しかし、ジャンル的に合わないと分かっていて落とされ続けて、果ては小説を書くのをやめてしまうなら同人活動のほうが余程薦められる気もします。
同人の場合、売れるか売れないかは内容ではなくジャンルです。そのジャンルを求めている人が集まるところで売れば、いくらかは売れます。もちろん営利的な意味での額ではありませんが…

とにかくも、カテゴリーエラーというかジャンル違いを理由に落とされている人は結構いるのでは?という推測はできます。
量子力学(!)をテーマにして、SF同士の戦いで落とされたら、どれほどの大作かにもよりますが、きっと悔しかろうと思います。「なんでこんな他のぬるいSFが大賞なんじゃ!!フザけるな!」となるのではないかと思います。
無責任には言えませんが、そういったものは、同人誌でお金を払って手に取る人はきっといるはずだと思います。
小説の同人が売れにくいのは、小説の出来が悪いからではなくて、アマチュアの作品にもお金を払うという文化が定着しておらず、即売会にも足を運ぶ人が少ないからです。
またついでに言うなら、足を運ぶ人でも、中身は小説なのにカバーのイラストで買うかどうかを決めるという、そういう情けない方もいらっしゃるのも事実です。そういった「表紙詐欺」の文化は前々から存在するものですが。

ジャンル違いは落とすとほぼ決めているのにジャンル不問と言っている出版社がもしあれば、それが出版社様が悪いというかアホだと思います。
大卒しかとらないと決めているのに学歴不問と書いて求人を出すアホ企業と同じです。
雇う性別を決めてるのに男女不問としているのと同じ。(これはアホな法律のせいでもあるわけですが。)
そういうのって、結局お互いの時間がムダなわけですよね。
なので、応募するところをよく選ぶ事。大事そうです。

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【コンテスト応募】小説作品完結14万5千字

小説作品が完結まで至りました。14万5千字で、「15万字以下」という条件に5千字余裕を持たせました。
オーバーして削るというのが嫌だったので、ほどよいところでまるめて、終わりにしました。

出来たからと言って即刻投稿しても良い事はないので、最初から読み直します。

しかし、これ投稿するにしても面倒ですね。じつに面倒です。

作品の扱いですが、せっかく書いたものなのでコンテスト応募→賞応募(1~2つ)→(落選前提で)同人誌 という流れで行きたいと思います。
創作活動としては、そのつもりでまとまった作品を1つ1つ完成させるほうが、よっぽど活き活きして良い事が分かったように思います。

ただ、おそらく、コンテストでも賞でも、あまりダメ出しばかりが続くと、結局執筆意欲もなくなっていくんだろうなあとは、予想はできます。
同人誌でも、全然売れない(例えばゼロ)のが続いたりすると、もういいや・・・ってなりますね。
なので、全然手ごたえなかったら、あまり惰性で応募し続けるのは良くないにおいがします。

同人誌でも、売れる売れないって、ジャンルなんですよね。
それは必ずしも「売れるジャンル」「売れないジャンル」という事だけではなくて、他の人がやるとウケるのに、自分がやると全く無視されるというものがありました。
・・・まあ、あまり「向いてない」って事でしょうね。

全く手ごたえのないものは、もうホームページで無料公開しかないですが、別に公開しなくてもいいですね。
あまり勧められるかは分かりませんが、私が好きなのは、完璧しくじった作品であっても、同じキャラや同じ世界の設定で別の話を作るというものです。なので、あまり評判よくないものは無理に公開せず、別作品を作るのに活かすという事でもよかろうと思います。

一番やりたくないのが小説家になろうに投稿とか、そういうオチ。

「他人と比べるために絵描くわけではない」

orangedeer6.sakura.ne.jp個人サイト

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「他人と比べるために絵描くわけではない」

これそのものには賛同しますが、

そう言いながらしっかり「比べて」いる方がいらっしゃって、

その行動には全く賛同しません。

 

例えばツイッターで、ある人の絵はリツイートして、別の人に対してはそうでない。

それって立派な「御比較であって」、絵の主からすれば比較されちゃってるんですよね。

pixiv でもそうだけど、数字がつくっていうことは、

その時点で比較されちゃってるんですよね。

そういった数字をつける行為をしておいて「気にするな」っていう言葉を発するのは全くの詭弁であり偽善ですね。吐き気がします。

気にするなっていうんであれば、やっぱり数字はつけちゃだめですよね。

年収200万と年収1000万を数字として人に明記して並べたら、

「比較するためにそうしてるんじゃない」とか言っても全くの詭弁ですね。

根が腐った人がツイッターにはいるものです。

 

サイトやブログに絵を載せる分には、絵に対して直接数値が付く事はないので、

良いと思います。

私は他人の絵を見る事はあっても評価はしません。

それに点数や相当するものをつける事は、それがたとえ良い評価であっても「比較」をする事になります。なぜなら、私が良い評価をつけたものとそうでないもので「差」ができるからです。

そうした「比較」のし合いによって、創作文化は腐っていきます。